デリケートな内容なので書かないつもりでしたが、ぼんやり頭に考えが浮かんだある日から、ずっと引っかかっていました。

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私自身が手掌多汗症であり、自分のこれまでの人生を振り返ると、手掌多汗症はとても大きな問題でした。だから子供に遺伝した可能性を疑っている今、色々と考えてしまうことがあります。

それは子供が今後生きて行く上での心配であり、言うまでもなく過去に自分が味わった、「生き辛さ」や「苦労」、「苦しみ」「悲しみ」と言ったネガティブなものです。

手掌多汗症の人間は子供をつくるべきではないのか

こんな拙い過疎サイトでも、たまに多汗症の方からメールを頂くことがあります。興味深いことで、直接的な物言いでは無いものの、「子供を産むべきではなかった」と後悔に似た表現をする方もいれば、「子供を産んだことを後悔したくない」「この子ならきっと強く生きて行ってくれる」と前向きな方もいらっしゃいました。

「手掌多汗症の人間は子供を作るべきではないのか?」

私は、この疑問にどうこう言えるような崇高な人間ではありませんが、私個人の考えでは「作ってはいけない」と思っていませんし、思いたくもありません。

ただ、同時に「手掌多汗症は遺伝する可能性があるもの」と知らずに子供を作ってしまった自分の浅はかさには呆れます。

どれだけ自分が「手掌多汗症」で苦労してきたか、「生きていたくない」と考えたことがあったか、その苦労や悲しみが大きければ大きいほど、子供を作る時にはもっと遺伝の可能性を気にするべきでした。

もちろん遺伝することを事前に把握していても、産まれて来た子供が実際に手掌多汗症を患うかどうかは変わりませんが、覚悟の問題があります。

毎日、愛くるしい子供の顔を見るたびに、この子が産まれて来てくれた嬉しさと一緒に、「多汗症として産んでしまったかも知れない」、「自分が味わってきた苦労をこの子供にも負わせてしまうのか」と罪悪感に似た感情を感じます。

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多汗症ではない保護者に伝えたいこと

私は両親と兄の四人家族でした。私以外、家族は誰も手掌多汗症ではありません。私が把握している限り親類にも多汗症の人はいませんでした。

私がこの両親の実子でない可能性はゼロですが、だとしたらなぜ自分は手掌多汗症になったのだろう。今でも分かりません。隔世遺伝で、もっと古い先祖に多汗症の人がいたのか。突発的な遺伝子疾患なのか。気になりますが、答えは一生でないと思います。

このブログでは、私が小学生や中学性、高校生だった時の記事を公開しています。そこでも触れたことはありますが、私が子供の頃はインターネットなどまだ無い時代でしたし、何度か多汗に心配した親に医者へ連れて行かれましたが、誰一人「手掌多汗症」を知っている医師はいませんでした。

だから診断結果はいつも同じ、「気にしすぎ」程度のものでした。

手掌多汗症については医師がそんな程度の知識だった頃ですから、他に多汗症で悩む人がいることなど知らなかったし、私一人だけの特異体質だと考えていました。

私の両親もきっとそうだったでしょう。ましてや医師にまで言われてしまえば「気にしすぎ」「くよくよと神経が細いからだ」と度々言われながら育ちました。

もっとも、私の父については元々子供にあまり関心が無いタイプの人間でしたが。

当時、私が20歳前後でETS手術を受ける際に「そんなこと(汗)くらいで」と言われた一言は、一生忘れられないでしょう。

誤解しないで頂きたいのは、両親に対しての恨み辛みがある訳でも、今さら泣き言を言いたいのでもありません。医師ですら分からなかった時代ですし、インターネットもなければ一般人が簡単に情報を収集できる時代でもありませんでした。

だから両親の言動は「仕方のないもの」だったと理解できます。

ただ、それでもやはり「自分だけの特異体質」だと考え、「自分は、この身体は、なんなんだろう」と言う恐怖、そして「多汗症の生き辛さ」に対して、両親の理解がないことは辛いものでした。

理解者の存在

これは手掌多汗症と言う病気に限った話では無く、あらゆる病気や怪我に苦しむ人が同じだと思います。

自分の問題や辛さに対して理解や共感をしてくれる人の存在があることは、病気に悩む人にとって大きな存在になる筈です。

例え自分が同じ病気でなくても、です。

手掌多汗症のやっかいな問題として、QOLが著しく低下するだけでなく、症状が「誰でもかく汗」と言う点にあると私は考えています。

言ってしまえば「誰でもかく汗、それが多いだけ」

この一言で終わってしまいます。

だから問題の本質が見えないし、何かの拍子に「汗くらいで…」と言う言葉が出てしまうのです。

その一方でTVのCMや電車の広告などを見ていれば分かりますが、汗や汗の臭いは「不快なもの」「汚いもの」という表現があちらこちらにあります。

だから、「たかが汗で大げさ」「たかが汗で気にしすぎ」という見方と、「そんなに汗をかいてキモチワルイ」「汚い」という見方の狭間で多汗症の人間は苦しむことになるのです。

手掌多汗症一日体験入学

手掌多汗症では無い保護者の方で、手掌多汗症を患うお子さんをお持ちの方に是非やって欲しいな、と常々考えていることがあります。

それは、ドライバーの方が着けているような薄手の手袋をして、手袋をしたままびしょびしょになるまで手を洗います。この状態を維持して、一日で良いから生活してみてください。

30分おきに水で手袋を濡らしながら。

その状態で、満員電車に乗り、つり革につかまってみてください。

その状態で、立ち読みをしてみてください。

その状態で、誰かと手を繋いでみてください。

その状態で、仕事をしてみてください。

その状態で、書類を書いてみてください。

その状態で、……。

その状態が、24時間、365日続くことを想像してみてください。

悩みの無い人間などいない

手掌多汗症の人間は大変なんだ、可哀想なんだ、生き辛いんだ。だから理解しろ、優しくしろ。そんなことが言いたいのではありません。

どんな方でも悩みがない人などいないでしょうし、病気一つを例にとっても、もっと難病で苦しんでいる方もいるでしょう。

私自身、医学について明るい訳ではありませんから、私が知らない難病も星のように存在し、正に今、周囲の理解もなくその病気で悩んでおられる方もいることでしょう。

ただ、世界中で両親くらいは、どうかよき理解者に、後ろ盾になってあげて欲しいと、切に願います。

これから先、成長していく娘と多汗のことを考えると不安でいっぱいです。けれど、私は娘にとって一番の支えになってあげたいです。

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